2012年02月06日

575)魏生学副所長にきく(1)

1月28日に東京で開催した、緑の地球ネットワーク20周年記念シンポジウム、
ちょうど150人のかたに、参加していただきました。
ありがとうございました!

昨年末に、大同を訪れたとき、緑色地球網絡大同事務所の
魏生学副所長をインタビューしました。
ずいぶん苦労した時代があったんですねえ。
日ごろの彼からうける印象とは、ずいぶんちがいます。
2回に分けて、掲載します。


ぼくが生まれたのは、1964年12月27日で、新栄区の農村。
農村のことだから、農暦(陰暦)だと思うよ。
陽暦で、いつになるかは知らない。
(調べると、1965年1月29日だった)

小さな村で、50戸くらいかな、人口は300人ほど。
貧しい村なんだけど、そのなかに、とびきり貧乏な家が、2軒あった。
1軒はこどもが8人いて、もう1軒は7人。
7人の家がぼくの家で、ぼくはその7番目。
末っ子だった。

父親が、病気で、寝込んだからね。
ぼくが8歳のときに床につき、13歳のときに亡くなった。
最後の3年は、寝たきりだったんだ。
で、ぼくはその5年間、食事を食べさせたり、便所につれていったり、
父親のめんどうをみる係だった。

病気といっても、気管支炎だったんだよ。
抗生物質を使えたら、死ぬことはなかった、と思うんだけど、
食べるものもないんだから、とても買えなかった。
ただ、鎮痛剤を飲ませただけ。

いちばん上の兄が、ぼくより20歳うえだから、
父親代わりになって、弟、妹を育てたんだ。
その兄? 
小学校に、2〜3年は通ったと思う。
そのあとは働きづくめだよ。
建築のしごとについて、最初は使い走りだったけど、
やがて隊長になり、幹部になった。
大同市内で、しごとをしているときに、結婚し、
市内に住むようになったんだ。

ぼくが小学校にはいったのは7歳のとき、数え年だよ。
1970年のこと。
ちっちゃいときは、そうじゃなかったけど、
3年くらいになると、勉強はしないで、労働ばかり。
文化大革命だったからね。
農村は集団労働で、生産大隊とかがあったので、
そこにいって、大人に交じって、働いたんだ。

1976年に文革が終了し、77年ごろから、落ち着いてきた。
勉強をはじめたのは、そのころから。
農村の小学校は1年生から5年生まで。
初級中学は2年までだった。

で、さっき話した兄に引き取られて、
大同市内の中学校に通うことになったんだ。
中学3年のときだね。
そりゃあ、たいへんだったよ。
レベルが、まったくちがうから。
農村の先生は、水準が低いし、教科書もまったくちがう。
農村のものはかんたんで、内容も薄っぺら。
都市の中学校は3年までだけど、農村は2年だからね。
そして、農村の学校は、労働が多くて、
何日も働く、なんてこともあって、勉強の時間が、ずっと短い。

そもそも、農村の中学校には、英語なんてなかったんだから。
それまで、まったく勉強していない英語を、
途中から勉強しないといけなかった。

差が大きいことは、自分でもよくわかったから、けんめいに勉強した。
中学校を卒業するときは、1番になったんだよ。
すきな教科は、物理、化学、数学で、成績もよかった。
高校1年のときの、数学の全国コンテストでは、大同市全体で3番だった。

数学は、それほどおもしろいとは思わなかったけど、物理はおもしろかった。
ふだんの教室では、1番じゃなかったんだよ。
宿題なんかも、できないことがあったし。
それなのに、本番の試験になると、なぜか成績がいい。

逆に、あまりよくなかったのは、地理と歴史。
それよりなにより、英語がひどかった。
勉強はしたんだけど、どうにもならない。
大学入学のための、統一試験の成績が、37点だからね。
化学なんか96点で、山西省でも5番以内。
もし、英語で70点をとっていれば、清華大学、北京大学をはじめ、
北京の有名大学に入れた、と先生に言われたよ。

高等教育を受けたのは、兄弟のなかでは自分だけだよ。
いちばん上の兄は、さっき言ったように、小学校を2〜3年だけ。
いちばん上の姉とか、小学校に1日も行っていないのが2人。
すぐ上の姉は、小学校に通ったんだけど、
その上の姉は、ぼくら弟、妹のめんどうをみるために、
学校にいけなかったんだ。

実際に進学したのは、大同でいちばんいい学校。
正式には山西省師範大学大同市師範専門学校といった。
そこで3年間、数学の勉強をした。
高等代数、高等幾何、数学分析、微分積分。
それから、先生になって、学生を教えるための、
教育学、教育心理学といったこと。

成績はよかったんだ。
だから、3年間、ずーっと奨学金をもらっていた。
そして、共産党に入党した。
師範学校2年のときで、18歳。
学生の党員は少なくて、クラスで2〜3人。
入党できるのは、18歳以上だからね。
党歴のほうが、仕事歴より、長いことになる。

最初についた仕事は、出身地の新栄区の中学校の先生。
あのころは、自分でしごとは選べず、上から配分されるんだ。
数学の先生になるはずだったんだけど、数学の先生は足りてて、
物理の先生がいなかったから、物理を教えることにした。
2年間、そこで働いたんだ。

いま、振り返っても、こどものころは貧乏だったね。
村のなかでも、飛び抜けて。
でも、いまじゃあ、あの村出身で、もっともいい部類かも。
きょうだい、みんな市内に住み、ちゃんとしごとがあるからね。
                  (つづく)
posted by koko_tayori at 17:49| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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