2012年02月13日

577)立花吉茂先生と南天門自然植物園

立花吉茂先生の、植物園にかける執念がなかったら、
いまごろ、私たちの活動は、どうなっていたでしょう。

川島和義さんにつれられて、大阪市立咲くやこの花館に、
立花先生を訪ねました。
そこで、技術顧問をされていたのです。
1994年春のこと。
直接的には、その年の8月に派遣する専門家調査団に、
加わっていただきたかったのです。
さらに、事業全体の指導も、お願いしたかった。
それまでの緑の地球ネットワークは、素人集団でしたので。


立花先生は、条件をだされました。
「植物園をつくらないか。
そこまで本気でやるのなら、自分も参加する」というもの。
このあいだ、梅原徹さんが、私たちの会報に書かれたのですが、
植物園の英語は、Botanical Gardenであって、
Plant Gardenでは、ないそう。
直訳すると、植物学・園なのですね。
立花先生は、それと同じことを話されて、
ちゃんとした、緑化の筋道をさぐるために、
植物園が欠かせない、といわれたのです。
私は、たちまち感化されて、「やります!」と、答えました。

そうはいっても、条件はすぐには整いません。
その前段として、これも先生の提案で、
育苗や実験・研修などの機能をもった
環境林センターをつくりました。
こういう施設を建設し、運営することに、少しずつ慣れたのです。

人の問題を、解決されたのも、立花先生です。
霊丘県の上北泉村で、果樹園を見学したとき、
「この果樹園をつくった人間は、できるよ。
植物のことが、わかっている」と、いわれたのです。
それが、李向東でした。
先生は、その作品をみて、人をみつけられた。

だんだんと、条件がそろってきました。
1998年の春、李向東たちに、
「立花代表は、このあたりに、植物園をつくりたい。
その候補地をさがし、どんな植物があるか、調べてほしい」と、
頼んだのです。

その年の夏に、霊丘県を訪れると、
李向東が「自然林がみつかった。
こんな大きな木もある」といって、ひと抱え以上のジェスチャーをします。
その自然林にたどりつくまでの笑い話は、なんども書きましたので、
今回は省きます。

立花先生も、そこまで、歩かれたんですね。
いちばん近い村まで、くるまでいき、そこから歩きました。
片道4時間以上かかり、高低差が900mありました。
海抜1,768mの碣寺山で、河北省との省境まで、5kmのところ。
中心になっているのはナラで、ほかにカエデ、シナノキなどの
なかまが混じっていました。
落葉広葉樹の林です。
立花先生は、それをみて、
「ざっーと、喬木20種、灌木40種、草が100種」と、いわれました。
遠田先生は、「種はちがいますけど、
東北や北海道の木と、属のレベルでは同じですね。
種類も、けっこう豊富です」とのこと。

それで、がぜん、勢いづいたのです。
植物園の意義と意味が、私のなかでも、はっきりしてきました。
李向東たちは、植物園の候補地を、7か所、さがしていました。
遠田先生と、私とで、1つ1つ見て回ったんですけど、
なかなか、いいところがありません。
長く歩きますから、クタクタになったんですよ。

最後にみることになったのが、南庄村の近くの、現在の場所。
李向東が指さすのをみて、いやになったんですね。
遠いうえに、急な坂道を、のぼらないといけない。
もういいよ、最初のところにしよう、と私はいったのです。
すると李向東、「あそこの高いところまでいけば、見通すことができます」
あそこくらいまでなら、いってみようか。
そこまでいったら、「あのポプラが茂っているところに、小さな池があります」
えーっ、どうしてそれを、先にいわないの!
水のあるなしが、最大のポイントですからねえ。
結局、そこにきめました。
立花先生も、気にいってくださったのです。

86haのひと山で、まったくのはげ山。
そこに、植物園と、名付けたんですね。
私は、気恥ずかしくて、まえに「自然」の2文字を加えました。
いまから3年ほどまえ、緑が濃くなってからですが、
京都大学大学院の、森本幸裕さんが、ここにこられたとき、
「大阪市立大学の植物園は、はげ山につくられたそうです」と話されたので、
「それをつくった人が、これを計画されたんです」と、私は答えました。
立花先生には、成算があったのだと思います。

近くの村と話しあって、約束してもらいました。
ヤギ、ヒツジ、ウシその他の放牧をしないと。
それから、柴刈りも、ここではしないと。
約束だけでは、あてになりませんから、境界に、有刺鉄線を張ろうか。
私が、そう提案すると、「すぐ盗まれる」と李向東。
じゃあ、どうする?
「土を運びあげて、土塀をつくったら」
さすが、万里の長城をつくった民族の、子孫ですねえ。
けっきょく、トゲのある植物を、植えることにしたのです。

放牧と柴刈りを止めたことで、急速に緑がふえました。
灌木や草は、膝や腰の高さだったものが、
胸や肩の高さに、急に伸びました。
キンポウゲ科など、毒のあるものか、トゲのあるものが目立っていたのに、
マメ科や、イネ科の植物もふえてきました。
山丹と呼ばれる、ヤマユリの群落まで、できたのです。
そのうち、作業道が、草でふさがれましたので、
「ヒツジを教育して、道のところだけ食べさせたら…」と
立花先生と、ジョーダンを言いあっていました。

李向東たちは、発見した自然林などから、種子を集め、
苗に育てては、敷地内に、植え広げました。
さらに、隣接する各地からも、導入しました。
自然の再生を主にし、人の手で、それを助けたのです。
彼らが植えたものも、大きなものは、5m近くになりました。
自然に再生してきたものは、最大で12〜13m、
胸高直径が20cm以上に育っています。
こちらは、地上部は見えなくても、根が残っていたから、
育ちが速かったのです。

植物の種類が多いのも、ここの特徴です。
もう10年近くもまえ、JICAの研修で日本にきた、
山西省の技術者に、この植物園のことを話すと、
「さすがですねえ。
霊丘県の南山区は、山西省内で、植物種が多いことで、
知られています」とのこと。

数年前から、スタッフが、植物標本をつくっていますが、
これまでに、550葉になったそう。
ダブっているものも、あるでしょうけど、
それに近い数の植物が、育ってきていると思います。
持続可能で、多様性を備えた、森林再生のモデルとして、
長く発展させていきたいものです。

4月7日(土)〜13日(金)の
ワーキングツアーは、この南天門自然植物園を訪れます。
ぜひ、ご参加ください。
【訪問地】山西省大同市
【旅行代金】16万円(全日空利用)
 燃油サーチャージ等1.2万円程度がほかに必要です。
 緑の地球ネットワーク年会費1.2万円も別途お願いします。
 羽田空港発着も、大きな差はありません。
【申し込み締め切り】2月末。
 申し込みをすぎてのお申し込みは、ご相談ください。
posted by koko_tayori at 15:50| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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