2012年06月07日

585)東北の被災地をめぐって

6月初旬、おくればせながら、
東北の被災地を、駆け足で回ってきました。
佐々木陽子さん、藤嶋茂さんに、お世話になりました。
総勢14名。
サラーッとみただけで、なにかが書けるとは思いませんが、
自分のために、書き残しておきます。


6月3日は、岩手県一関市室根町矢越で開催された
第24回 森は海の恋人植樹祭に参加しました。
このネーミングがすばらしいですね。
森、河、海のつながりを、一言であらわし、しかも夢がある。
提唱者の畠山重篤さんは、国連のフォレストヒーローズに、
アジア地区代表として、選出されました。
そのことも、ことしの植樹祭を、大きく盛り上げたと思います。

主催者発表では、参加者は1350人。
遠方をふくめ、全国からの参加です。
宮崎水産高校の55人の集団が、とくに目立っていました。
翌日目にした新聞は、1500人と報じています。
集会のあと、記念植樹に移りました。
ポリポットで育てた、20種以上、1500本の苗を、
参加者みんなで植えました。
私も、ブナの小さな苗を植えました。

お昼は、イオングループの人たちの、
バーベキューに混ぜていただきました。
畠山重篤さんが育てられた、ホタテとカキが、
香りが鮮やかで、ほんとにおいしかった。
なんと、ここで、鈴木裕章さんと、13年ぶりの再会!
似てるなあ、と思って、ぶしつけに、顔を覗き込んでいたんですよ。
そしたら、鈴木さんが、気づいてくださった。
1999年4月、南天門自然植物園がスタートするとき、
イオン労働組合のツアーの、団長としてこられたのです。
あのとき、たいへんだったんですね。
突然、黒雲におおわれたので、あわててトラックの荷台に飛び乗って、
村へと急いだのですが、途中から激しい雨に襲われました。
ひょう(雹)が混じっていて、冷たい、冷たい。
痛い、痛い。
パンツから、靴下まで、グショグショに濡れたのです。
アクシデントがあると、深く記憶に刻まれます。

そうそう、植樹祭の会場では、荻田雄輔さんに、声をかけていただきました。
富士ゼロックス端数クラブのOBで、札幌から10回以上、参加しておられるそう。
2007年に、大同にきていただいたのです。

その日の午後は、陸前高田の、高田松原のあとをみました。
津波までは、文字通りの、白砂青松で、国の名勝だったそう。
しかし、津波に飲み込まれて、その面影は、どこにもありません。
7万本のなかで、たった1本残った、奇跡のマツも、
その後、枯れてしまいました。

その横を通って、波打ちぎわにでました。
するとそこに、太いマツの根株が、列をつくっています。
あとで、かつての写真とくらべ、あの白砂青松と、
同じ場所であることがわかりました。
でも、砂浜はなくなっています。
この近辺は、70cmも沈下したとか。

太いマツに、根返りしているものはありません。
砂地に、太い根を、しっかりと張っています。
小川眞先生が、近著『キノコの教え』(岩波新書)に、
こう書かれています。
「大きなマツの根がむき出しになり、タコの足のように下へ伸び、
横に細い根を出している。
それは、まるで手をつないで助けあい、
津波に耐えようとしていたかのように見える。」
そのとおりの姿でした。

この松原、いまから300年以上もまえに、篤志家が私財をはたいて植え、
地元の人に、ずーっと、守られてきたそう。
近年になって、弱るものがでてきたため、
小川先生は、2008年から、保護のための相談に乗ってこられたそう。
地震・津波の3週間まえにも、マツの根元に炭を埋め、
樹勢回復をはかる作業をされていました。

これらのマツは、抜けはしませんでしたが、地上部でねじ切られています。
その折れ方で、いかに大きな力がかかったか、一目でわかります。
ということは、津波の力を弱めるために、役立った、ともいえるでしょう。
枯れた木々に、知らず知らずのうちに、黙祷していました。

6月16日(土)13時30分からの、第18回会員総会の
記念講演では、小川眞先生に
「被災地における海岸林再生に、中国での経験が生かせるか?」と題して、
話していただきます。
会員以外のかたの出席も、大歓迎です。
会場は、大阪市立総合生涯学習センター第1研修室
(大阪駅前第2ビル5階)

リースづくりのために、地震のまえの年の秋に、
松原で採取されたマツカサからの種子で、育苗もなされていました。
高田松原を守る会のみなさんのご努力です。
もとの姿を回復するには、長い時間がかかるでしょうが、
誰かが、どこかで、はじめないことには、なにもはじまりません。

6月4日の午前中、名取市の閖上(ゆりあげ)地区を訪ねました。
名取ハマボウフウの会代表、ゆりりん愛護会代表の、大橋信彦さんが、
お忙しいなか、私たちを案内してくださいました。
人工の築山、日和山に登ると、津波が襲った住宅地を一望できます。
どこまでも平らな、平野が広がっています。
津波は、日和山のうえ、2mのところまで、せりあがったそう。
それまであった住宅は、土台のあとを残して、完全になくなりました。
900人近い住民が犠牲になり、90%以上の家屋が破壊され、
いまは、だれも住んでいません。

浜辺にでました。
ここにあった、松林はすっかり消えています。
津波になぎ倒されたそうですが、それもすでに片づけられていました。
大橋さんたちによる、0.7haの保護区では、
ハマボウフウが育ち、つぼみをつけていました。
ここは、50cmもの砂が、かぶさったそうですが、
その砂の層をくぐって、地上に出てきたのです。
津波前の3分の2は、戻っているとのことでした。

復興のために、私たちにできることはないか、
考えつづけていきたいと思います。
posted by koko_tayori at 14:27| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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