2013年02月20日

590)20年のビデオができました!

大同での緑化協力20年記念の活動として、
ビデオの制作が課題でした。
前作の「よみがえる森」から11年がたち、
撮りためた素材も、膨大な量です。
時間もとられるし、気力も必要。
ずっと先延ばししていたんですけど、
昨年末にとりかかりました。


素材の大半は、私が撮影したものですが、
今回は数人のかたのご協力をえました。
前中久行代表が、編集につきっきりで参加しました。
私は気持ちがラクでしたし、作品も充実しました。
感謝いたします。

ご存じのような日中関係ですので、
どういう流れにするか、考え込みました。
プロローグで、昨年8月24日、大同で開催された
20周年記念のイベントをとりあげました。
島をめぐる緊張が深まるなか、
日本側30名、中国側220名が参加する
盛大なイベントが開催され、
共産党大同市委員会の柴樹彬副書記、
大同市総工会の張志偉主席などが、
ていねいな挨拶をしてくれました。
涙がでてしかたがなかった、という感想もでたのです。

全体の長さが、できるだけ短くなるよう、
ディレクターの中田眞一さんに頼みました。
その一方で、落としたくない場面もあります。
その兼ね合いがむずかしい。
だんだんと延びて、26分ちょうど。
表題は「黄色い大地に広がる緑〜草の根環境協力の20年」です。
今回は、中国語版もあわせて制作し、そちらは、
「黄土地上的緑色詩篇〜草根環境合作20年」です。

代表的なプロジェクトをとりあげました。
マツの造林は、大同県の采涼山プロジェクト。
1999年4月の着工です。
条件はよくなく、地元の技術者は避けるように、すすめたそうです。
まずは、植物の育ちにくい、南斜面であること。
土壌の浸食がつづき、土がやせている。
植えたあとの、灌水もたいへんです。
そのうえ、周囲の村が、極端に貧しいこと。

6年かけて、230haを植えました。
いまでも、50万本はあるでしょう。
初期のものは、3.5mを超えました。
整地方法、菌根菌を利用した育苗…、成功には理由があるんですけど、
なかでも大きかったのは、プロジェクトの2年目に、
地元の郷の党書記に、張春さんが就任したこと。
外でのしごと、なかでも植樹が大好きだったんですね。
村の人といっしょに、いつも現場を見回っていました。
「植樹3分、管理7分」と、中国では言われるんですけど、
彼の口癖は、「植樹1分、管理9分」。

アンズのプロジェクトは、渾源県呉城村をとりあげました。
浸食谷のうえに、アンズの林が広がります。
私たちの協力はほんの一部ですが、
村の人たちは、300ha、25万本まで植え広げました。
王迎才書記は、
「穀物を植えているときは10アールあたり150元だったけど、
アンズに換えて1,500元になりました」と語ります。
聞いているのは、国連環境計画親善大使として村を訪れた
加藤登紀子さん。
2004年でアンズは大豊作、ちょうど収穫の時期に、やってきたのです。
小学校に通わせるのもむずかしかった村が、
毎年、数人ずつ、大学生を送りだせるようになったのです。

協力拠点として、1995年から2010年まで、大きな役割を果たした
環境林センターは、大同市の生態公園に、生まれ変わりました。
大同市の市長から、代替地を提供され、
緑の地球環境センターの建設がはじまりました。
わずか1年あまりで、23haの新拠点が、完成に近づいたのです。
測量、設計、施工のすべてを、
大同事務所の人たちが、自力でやり切りました。

日本からのボランティアは、延べ3,500人になりました。
農家にホームステイしたときは、風呂・シャワーはおろか、
顔を洗う水にすら、不自由しました。
なにがよかったのか、それでも、リピーターが続出しました。
石田和久さんは、昨年8月でなんと18回、
この春も参加されますので、20回に王手です。

飲み水に困る3つの村で、井戸掘りに協力しました。
いちばんよろこばれたのは、この協力でしょうね。
通水式の日、「もらい水の歴史に終止符が打たれた」といって、
大泣きした、お年寄りもいたのです。
地震被災地などで、小学校の建設に協力したこともあります。

締めくくりは、南天門自然植物園です。
前代表の立花吉茂さんが、執念を燃やしました。
候補地を探してほしいと頼んだら、現地の技術者たちは、
霊丘県南山区の山奥で、自然林をみつけてきました。
立花先生、遠田宏先生、そして大同事務所や環境林センターのメンバーたちと、
4〜5時間も藪こぎをして、そこまで登りました。
ナラ、シナノキ、カエデ、カバノキなど落葉広葉樹の森林です。
その近くには一抱え以上の大きな木もあったのです。
林床には、腐葉土と落ち葉が、厚くたまっていました。
その光景をみたとき、私たちのなかで、
緑化のイメージが、大転換したのです。

そこから遠くないところに、86haの一山を確保しました。
まったくの荒れ山だったんですね。
最大で樹高2mほどの、ナラの木がほんの少しあったんですけど、
このあと伸びるものか、伸び悩んだ結果がこれか、私にはわかりませんでした。
そのはげ山に「植物園」と名づけたのです。
いちばん高いところが、南天門と呼ばれているので、
最終的に、南天門自然植物園の名が定着しました。

その後の変化は速く、大きかったのです。
ヤギ・ヒツジの放牧と、柴刈りを止めたところ、
植生がいっせいに再生しはじめました。
膝ほどの高さだった草や灌木が、胸や肩の高さになりました。
毒のあるもの、刺のあるものばかり目立っていたのに、
マメ科やイネ科の植物がふえてきました。
きれいなユリや、ラン科のアツモリソウまで花を咲かせます。

そして、ナラなどは、最大のものが、樹高13m、
胸高直径25cmほどに、育ってきました。
スタッフは、自然林などから種子を集め、
苗を育てては、植え広げてきました。
林床には腐葉土がたまり、森林土壌ができてきました。
そうなると、樹木の生育はいっそうよくなります。
良性の循環がはじまったのですね。

これはビデオにはでませんが、ことしの1月、北京で、
中国林業科学研究院と、北京林業大学を訪ねて、
研究者にそのようすを話し、写真をみてもらいました。
みな、びっくりするんですね。
これからも、ぜひ協力を求めたいと思っています。

4月6日から12日まで、春のワーキングツアーを派遣します。
最初に、この南天門自然植物園を訪れ、
新しい緑の地球環境センターなどでも活動します。
くわしいことは、こちらをごらんください。
http://homepage3.nifty.com/gentree/event.html
この機会に、ぜひご参加ください。

話をもとに戻して、このビデオ、DVDにプリントし、
会員と協力者のみなさんの手元に、まもなく届ける予定で、
いま準備をしています。
中国語版もあり、活用していただける方にはお送りしますので、
ご連絡いただけると幸いです。
posted by koko_tayori at 14:57| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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